わかち先生の 行こうぜ!商業

高校商業教員のわかちが、教育観などを徒然なるままに書いていきます。

今の選挙制度は本当の意味での「普通選挙」と言えるのか

わかちです!

 

私は普段、商業科教員として、簿記やビジネス基礎などの授業を担当させていただいてます。

高校も商業科に通っていましたし、大学は商学部で(一応)財務会計を専攻していたので、ゴリゴリ商業系一本で、というイメージを持たれがちなのですが、

実は、教育実習は「公民」で実施しています。

昨年の教員採用試験を受ける際も、商業で受けるか、公民で受けるか最後まで悩みました。

私の体の右半分は商業で、左半分は公民でできていといっても過言ではありません。

 

さて、そんな私が書く今回のテーマは普通選挙についてです。

2015年の公職選挙法改正により、いわゆる「18歳選挙権」が導入され、教育界でも盛んに主権者教育の必要性が叫ばれるようになりました。

公民科の教員でなくとも、主権者教育の一環として生徒たちに選挙制度やその仕組み、投票をすることの重要性について話す機会も増えたのではないでしょうか。

 

さて、ここで近現代における日本の参政権の歴史を軽く振り返っておくと、

・1889年 「満25歳以上、直接国税15円以上を納める男子」

・1900年 「満25歳以上、直接国税10円以上を納める男子」

・1919年 「満25歳以上、直接国税3円以上を納める男子」

・1925年 「満25歳以上のすべての男子」(普通選挙法成立)

・1945年 「満20歳以上のすべての国民」

・2016年 「満18歳以上のすべての国民」

となります。

 

歴史や公民の授業では、

昔は性別や収入で選挙権を制限してたから、『制限選挙って言うんだよ」

「1925年に『普通選挙法』が成立したけど、これは男子だけに選挙権を与えたから本当の意味で『普通選挙』とは呼べないね」

1945年に男女ともに選挙権が得られたから、ここでようやく本当の意味での『普通選挙』が実現したんだよ」

という感じで生徒に説明をするのが一般的です。

 

さて、ここで一つの疑問を投げかけたいと思います。

生徒たちは「昔の日本の選挙制度制限選挙、今の日本の選挙制度普通選挙と習うのですが、本当にそうだと言い切れるのでしょうか?

 

私は、今の日本の選挙制度も、本当の意味での普通選挙とは言えないと考えています。

なぜなら、18歳以上の国民には選挙権がありますが、17歳以下の国民には選挙権がないからです。

つまり、「年齢」という枠組みで、選挙権のある・なしを決めているわけで、

「今の日本の普通選挙」は「年齢による制限選挙」と言い換えることもできるのです。

「収入による制限」や「性別による制限」がなくなっただけで、「年齢による制限」はなくなっていないのです。

 

では、日本国民全員に選挙権を与える「本当の意味での普通選挙」が実現したら、日本の政治は良くなるでしょうか?

私はそうは思いません。

そもそも、生まれたばかりの0歳児に投票をさせるのは現実的に不可能ですし、乳幼児は政治に関する知識や政治的な判断能力がほぼないでしょうから、その投票結果をもって国民の意志とするのはさすがに無理があります。

 

しかし、小学生にもなれば、政治に対して興味を持ち、政治に関する知識を得、政治的な判断能力をある程度持ち合わせる子も出てくるようになるでしょう。中学生、高校生と年齢が上がるにつれてその割合は高まっていくはずです。

しかし、かつての私がそうであったように、政治に高い関心を持つ18歳未満の子たちは、間違いなく少数派です。

そういったことを考えると、「年齢」という枠組みで選挙権の有無を決めてしまうことは、ある意味では致し方ないことではないかと思います。

 

ここで問題になるのは、日本国民は皆18歳になれば、政治に関心を持ち、政治に関する知識を得、選挙制度の仕組みについてある程度理解をし、政治的な判断能力が身につくようになるのか?ということです。

私がある意味恐ろしいと思っているのは、今の日本の選挙制度では、衆議院参議院の違いが分からなくても、日本の総理大臣が誰であるかを知らなくても、どの政党がどのような主張をしているのかを把握していなくても、18歳以上の日本国民であれば全員投票ができてしまうという点です。

 

自動車の運転であればそうはいきません。自動車には免許制度があり、ある程度の運転技術と道路交通法等に関する正しい知識がなければ免許を取得できず、公道での運転が許されないことになっています。

我々教員の仕事も同様です。大学等で所定の単位を取得して、教科の知識や授業の方法、教育心理などを学んだうえで教員免許を取得しなければ、教壇に立つことは許されません。

しかし、選挙権行使には免許制度はありません。

そして、選挙権に免許制度を作るわけにはいきません。仮に「政治に関する知識」や「政治的な判断能力」で選挙権を制限するような制度を作れば、憲法第14条(法の下の平等)、もしくは15条(参政権)違反となるでしょう。

 

選挙権に免許制度がなく、18歳になれば全員が選挙権を得られる世の中で、政治上の「事故」を少しでも防ごうとするならば、

必要なことは、18歳までに日本国民のほぼ全員が受ける学校教育の中で、政治や選挙に関する知識を少しでも与えることです。

小学校、中学校では教科「社会」の中の公民分野、高校では教科「公民」の中の科目「政治・経済」あるいは「現代社会」で、必ず一度は学んでいるはずなのですが、現実にはその内容は定着しておらず、

むしろ若年層の投票率の低下や、政治に対する無関心・無理解が問題になっています。

これは、受験との兼ね合いにより公民科の教育が軽視されていることに原因があると考えています。

 

中学校の社会は、1、2年生で地理・歴史を学び、公民分野の学習は3年になってからが基本です。

多くの学校がその順番で履修するため、3年生になってからようやく学ぶ公民分野を高校入試で出題しづらいのです。

従って、中学生は教科「社会」の中でも地理・歴史分野の学習に偏り、公民は後回しにされて高校に入学しているのではないでしょうか。

また、大学入試においても、私立大文系の入試以外では公民が選択科目として使い勝手が悪く、文理問わず日本史・世界史・地理を選択する生徒が多くなっています。

その結果、地理歴史や他の受験科目に比べ学習の優先順位が下がり、政治に関する知識をあまり得られないまま18歳になってしまっているのではないか、というのが私の推測です。

 

個人的には、大学入試で公民を必須科目にして欲しい、と思いますが…おそらく実現は難しいでしょう。

商業の一教員である私が個人レベルでできることは、特に「ビジネス基礎」「ビジネス経済」「ビジネス経済応用」「経済活動と法」など、公民科と履修内容が重なる科目で、主権者教育の目を持って指導していくことだろうと思います。

一時期、「教科横断的な学習」という言葉を耳にすることが多かったのですが、私は「公民+商業」の組み合わせがそれを一番強力に実践できるのではないかと考えています。

商業の教科指導の中で、公民の学習内容との共通点を見出し、主権者教育に結び付ける。

これを私の中の密かな研究課題にしたいと思います。