わかちです!
先日、地方公会計検定という検定を受験してきました。
2級・3級のダブル受験をしましたが、両方とも無事に合格することができました。
地方公会計ってなんだ、という話ですが、
かつて単式簿記・現金主義で記録をしてきた官庁会計に、複式簿記・発生主義の視点をもった記録方法を取り入れていき、
地方公共団体も貸借対照表や行政コスト計算書(企業会計でいうところの損益計算書)など、財務書類(財務諸表)を作成しましょう、というのが主な内容になります。
仕訳や減価償却、引当金など、企業会計と同じような論点もたくさんありましたが、
地方公会計特有の考え方などもあり、理解するのには意外と時間がかかりました。
(仕訳にクセがあってやや分かりにくいですが、簿記学習者や行政系公務員なら比較的とっつきやすいのではないかと思います。ご興味のある方は是非チャレンジしてみてください。)
さて、私自身久しぶりの検定試験受験だったので、
勉強法や、勉強に対する考え方についていろいろと思い出すこともあり、
今回はそれをテーマとしてブログを書こうと思います。
今回のテーマは、「過去問を大量に解く勉強法は、嫌いだ」です。
検定試験対策や受験勉強などでは、「過去問題や模擬問題を大量に解く」という勉強法が有効だとされています。
学校や塾、予備校の先生の中には、
「過去問題(模擬問題)は最低でも10年分(10回分)は解きなさい」という指導をしている方も多く、
生徒も真面目に過去問(模擬)を10回も20回も解いていたりします。
(特に某教科の教員に多いんです。過去問題を大量に生徒に与えて解かせる指導法が…笑)
でも実は、私自身はそういった勉強法はあまり好きではありません。
実際、今回の地方公会計検定でも過去問題はそれぞれ2回分ずつしか解いていませんし、
かつて教員採用試験を受験したときも、過去問題は3年間分ほどしか解いていなかったように記憶しています。
また、教員として生徒を指導していた際も、できるだけ授業は「生徒の理解度を上げる」ための時間にするよう努め、あまり過去問題(模擬問題)を大量に解かせる、という指導はしていませんでした。
なぜ私が過去問を大量に解く勉強が好きではないのか、そしてなぜそれを自分自身の勉強法として採用していないのか、その理由を整理して述べていこうと思います。
【理由①(前提)】・・・過去問演習自体は必要なことではあるが、そもそも勉強に充てられる時間は有限である
問題形式に慣れる、時間配分を掴む、頻出分野を分析するなど、過去問を解くこと自体は必要なことだと思います。
しかし、問題は過去問を10回も20回も解き、解けなかった問題を復習する時間が果たして本当にあるのかということです。
人間が勉強に充てられる時間は有限です。
「24時間勉強に集中できる」という環境の人は現実的にはいないでしょう。
あらゆる人が食事、睡眠、その他生活に必要な時間が必要です。
また、学生であれば学校、部活動、アルバイトや家事の手伝い等の時間も必要でしょうし、
社会人であれば仕事、家事、育児、介護等の時間も必要になってきます。
よっぽど恵まれた環境の人でないと、勉強に充てられる時間はかなり限られることになります。
「勉強しなければならない」といっても生活との両立が不可欠なわけですから、過去問を10回とか20回とか大量に解くよりも、3回分程度にとどめておくのが現実的ではないか、と思うのです。
・【理由②】アウトプットだけでなく、インプットの時間も必要だ
過去問演習をしている時間というのは、基本的にアウトプットの勉強をしている時間になります。
たしかにアウトプットするというのは勉強には重要なことなのですが、一方でインプットの勉強というのも必要です。
インプットの勉強というのは、具体的に言えばテキストを読んで用語を覚えたり、概念について理解したり、あるいは演習して解けなかった問題を復習したりするというのがそれにあたります。
勉強というのはインプットとアウトプットの両方が必要であり、そのバランスが重要だと思うのです。
過去問を大量に解くにあたり、過去問を早く解くことが目的化してしまい、テキストの読み込みが不十分で前提知識のないまま問題演習ばかりしてしまったり、
過去問を解くだけ解いて、復習がおろそかになり結局未消化のままになってしまったり、
過去問の大量演習というのは、そういう危険性があると考えます。
(そういうふうになってしまっている生徒を何人も見てきました…)
「テキストを読み込んで前提知識を付ける→問題演習→解けなかった問題の復習」
このサイクルをしっかりやろうと思えば、やはり過去問演習は3回程度が適正ではないかと思います。
・【理由③】過去問は解けば解くほど、1回あたりの点数アップ期待値は下がっていく(限界効用逓減の法則)
経済学でよく使われる言葉に、「限界効用逓減の法則」というものがあります。
これは、「消費者が財1単位あたりを消費したときの幸せ度合いは、財の量が多くなればなるほど低くなってしまう」という法則なのですが、
(例えば、お腹がすいているときの焼肉1枚目は非常に美味しい(=限界効用が高い)ですが、焼き肉を食べ続けてお腹がいっぱいになった時の焼肉1枚は、あまりおいしくなくなってしまう(=限界効用が低くなる)という現象です)
私はこれが過去問演習にも当てはまるのではないかと考えます。
つまり、過去問を全く解いていない状態から解いた1回目は、本番の点数アップが10点期待できるが、
5回目の過去問では3,4点程度のアップ、
10回目の過去問では1,2点程度のアップしか期待できないのではないか、ということです。
入学試験にしても検定試験にしても、一定の合格基準点があり、基本的に満点を取る必要はないですから、
1,2点のアップしか期待できない10回目の過去問を解くのは、効率的ではないのではないかという気がします。
その時間があるなら、先ほど述べたインプット(テキストの読み込み等)をした方が、効率的な勉強法と言えるのではないでしょうか。
【理由④】過去問大量演習という勉強法は、AI的であり人間的でない
過去問を大量に解くという勉強法は、帰納法的に一定のパターン(解法)を身に付けるというやり方です。
ところがこれをすると、本番で少し違うパターンの問題にあたった時に、生徒たちはこう言うのです。
「わかち先生、この問題は過去問題になかったから解けなかったです…」
確かに、過去問題に出てきていないパターンの問題が出てきたら戸惑う気持ちは分かります。でも、その問題をよくよく見てみると、過去問題とは違う形式ではあるものの、テキストをしっかり読み込んで、基本用語と原理原則を理解していれば解ける問題だったりするのです。
大量のパターンを学習して、それに当てはめていくだけで、それに当てはまらない問題は分からない、というのは、帰納に偏った勉強法であり、AI的だと思いませんか?
人間なら、テキストを読み込んで、基本用語と原理原則を理解したうえで、過去問には出てきていなくても原理原則とそこからの論理的思考で演繹を使って解く、ということもしてほしいのです。
先ほどのインプットとアウトプットのバランスにも近い話ですが、
帰納と演繹の両方の思考のバランスが本番の問題を解く上でも重要だと思いますし、
AI化せず人間らしい思考をするという意味でも必要なことだと考えています。
以上が、私が過去問題を大量に解く勉強法があまり好きではない理由です。
「いや、それでもやはり過去問題はたくさん解いた方が良い!」などいろいろご意見あろうかと思いますが、またご意見ありましたら頂戴できたらと思います。
いかがだったでしょうか?
教員を退職して2年近く経ち、今更勉強法について書くのも恥ずかしいとも思ったのですが、
今回の内容が皆様のためになりましたら幸いです。
年末年始の間にもう1回くらいブログ書ければいいなと思っております。
次回もお楽しみに!