わかち先生の 行こうぜ!商業

高校商業教員のわかちが、教育観などを徒然なるままに書いていきます。

期待値志向と効用志向

わかちです!

多忙によりなかなかブログを書く余裕がなく、久しぶりの更新となりました。

 

さて、私は昨年の12月に結婚したのですが、独身時代と一番大きく変わったと思うのは、保険(生命保険や医療保険)に加入したことです。

独身の時には保険に対して全く興味がないどころか、むしろ「加入しないほうが良いもの」という考え方を持っていました。

それは、私が期待値志向でものを考える癖があったからだと思います。

 

生命保険や医療保険などの保険は、一般的に

加入者が支払う保険料の総額 > 加入者が受け取る保険金の期待値(保険金額×受け取る事象の起こる確率)

に設定されているはずです。

(保険会社が受け取る保険料の総額よりも、支払う保険金の総額のほうが多いようでは、たちまち保険会社は倒産してしまいます。もちろん、預かった保険料を運用して収益を出しているでしょうから単純には言い切れないところもありますが、基本的な原理としてはそのはずです。)

期待値志向で考えた場合、保険は加入するほうが損をする確率が高いと言えます。

私はこのことを根拠に、生命保険・医療保険等の保険に加入をしていませんでした。

 

ところが、妻の家族は若くして男手を失っている経験があり、「保険に加入していない男とは結婚させられない」というスタンスでした。

妻自身も当時、積み立て部分もある保険を含め、(私から見れば)高額な保険料を支払っていました。

私は、「保険は期待値で考えれば間違いなく不利だ」「積み立てと組み合わせた保険は、ノンキャンセラブル*1であり、貴重な現預金をわざわざ流動性の低いものに突っ込むのはやめたほうが良い」と主張し、妻(とその家族)と真っ向から対立したのです。

保険に対する考え方の違いから、結婚が危ぶまれる状態になるという、一見滑稽なようで、実はリアルかつシビアなピンチに陥ったのです。

 

保険に対してどう考えるべきか・・・悩んでいたところに、大学時代に受講していた「商業科教育法」という講義の中で、先生が言った言葉を思い出しました。

その先生の知り合いで、「保険金額100万円の地震保険に加入していて、東日本大震災により家を失い、実際に保険金100万円を受け取った人」がおり、このように話していました。

「たかだか100万円の保険金のために、わざわざ保険料を支払って地震保険に加入するのは馬鹿らしいと思うでしょ?でも、普段であれば何とも思わない100万円でも、震災が起こって家も何もかも失ったときに得られる100万円は、何にも代え難い、本当に有難いと思ったらしいよ」

 

私はこの話を思い出した時、商業科目の「ビジネス経済」で学ぶ、限界効用逓減の法則と同じだと考えました。

「限界効用」とは、財を1単位分追加で得られたときに感じる幸せ度合いのようなものです。

そしてその限界効用は、すでに得ている財の量が多くなるにしたがって、下がっていきます。

よくある例として、「ビールは1杯目が一番美味しく、2杯目、3杯目と進むにしたがってだんだんと美味しさが感じられなくなる」という説明があります。

 

つまり、この話を保険に置き換えると、同じ100万円という金額であっても、家や貯金などの資産がしっかりある普段の状態で受け取るのと、震災により家も家財も何もかも失った状態で受け取るのとでは、価値(限界効用)が異なる、ということです。普段なら100万円の価値である保険金が、追い込まれた状態では1,000万円やそれ以上の価値に感じられることもあるかもしれません。

期待値を用いて考えれば、保険金100万円は受取人がどのような状態であっても100万円だと計算するので、保険加入は損である確率が高いと言えますが、(限界)効用という概念を用いて考えれば、保険加入が必ずしも損な選択であるとは言えないという結論になります。

 

保険に対する考え方の違いで悩んでいた私ですが、「期待値志向の考え方」と「効用志向の考え方」に整理することができ、心の中のもやもやが解消された気がしました。

こうして私は、生命保険や医療保険への加入に一定の理解を示し、無事に結婚することができたのでした(?)

 

余談になりますが、「宝くじ」の購入にも同じようなことが言えると思います。

以前は、「宝くじなんて期待値で考えれば明らかに損(還元率が50%以下といわれている)なのに、なんであんなにみんなこぞって買うんだろう?」と思っていました。

ところが、宝くじを購入するのにかかるコスト(数千円~? そんなに痛手ではない)と、当選した時に得られる金額(数億円? すぐさま仕事辞められる!笑)の間の費用と効用のバランスが絶妙で、単純に金額×確率で計算する期待値で考えてもあまり意味がないと思えるようになってきました。

 

また、私は麻雀が趣味で、期待値計算を戦術の基礎とした研究・書籍を多く読んできましたが、期待値に準拠する選択が直観と反する箇所が何か所かありました。

(限界)効用を計算に使用する研究・書籍は今のところ見たことはありませんが、1,000点のアガリが32,000点のアガリに匹敵する状況も確実にあるわけで、期待値だけでなく(限界)効用も考慮に入れて計算するとより正確な研究になるのではないかな、と考えたりもしています。

 

期待値志向から効用志向へ。この考え方の転換が、私を一歩成長させてくれたのではないかと感じています。

*1:満期前に解約しようとすると、解約返戻金が元本よりはるかに低くなるため、実質解約不可能

今の選挙制度は本当の意味での「普通選挙」と言えるのか

わかちです!

 

私は普段、商業科教員として、簿記やビジネス基礎などの授業を担当させていただいてます。

高校も商業科に通っていましたし、大学は商学部で(一応)財務会計を専攻していたので、ゴリゴリ商業系一本で、というイメージを持たれがちなのですが、

実は、教育実習は「公民」で実施しています。

昨年の教員採用試験を受ける際も、商業で受けるか、公民で受けるか最後まで悩みました。

私の体の右半分は商業で、左半分は公民でできていといっても過言ではありません。

 

さて、そんな私が書く今回のテーマは普通選挙についてです。

2015年の公職選挙法改正により、いわゆる「18歳選挙権」が導入され、教育界でも盛んに主権者教育の必要性が叫ばれるようになりました。

公民科の教員でなくとも、主権者教育の一環として生徒たちに選挙制度やその仕組み、投票をすることの重要性について話す機会も増えたのではないでしょうか。

 

さて、ここで近現代における日本の参政権の歴史を軽く振り返っておくと、

・1889年 「満25歳以上、直接国税15円以上を納める男子」

・1900年 「満25歳以上、直接国税10円以上を納める男子」

・1919年 「満25歳以上、直接国税3円以上を納める男子」

・1925年 「満25歳以上のすべての男子」(普通選挙法成立)

・1945年 「満20歳以上のすべての国民」

・2016年 「満18歳以上のすべての国民」

となります。

 

歴史や公民の授業では、

昔は性別や収入で選挙権を制限してたから、『制限選挙って言うんだよ」

「1925年に『普通選挙法』が成立したけど、これは男子だけに選挙権を与えたから本当の意味で『普通選挙』とは呼べないね」

1945年に男女ともに選挙権が得られたから、ここでようやく本当の意味での『普通選挙』が実現したんだよ」

という感じで生徒に説明をするのが一般的です。

 

さて、ここで一つの疑問を投げかけたいと思います。

生徒たちは「昔の日本の選挙制度制限選挙、今の日本の選挙制度普通選挙と習うのですが、本当にそうだと言い切れるのでしょうか?

 

私は、今の日本の選挙制度も、本当の意味での普通選挙とは言えないと考えています。

なぜなら、18歳以上の国民には選挙権がありますが、17歳以下の国民には選挙権がないからです。

つまり、「年齢」という枠組みで、選挙権のある・なしを決めているわけで、

「今の日本の普通選挙」は「年齢による制限選挙」と言い換えることもできるのです。

「収入による制限」や「性別による制限」がなくなっただけで、「年齢による制限」はなくなっていないのです。

 

では、日本国民全員に選挙権を与える「本当の意味での普通選挙」が実現したら、日本の政治は良くなるでしょうか?

私はそうは思いません。

そもそも、生まれたばかりの0歳児に投票をさせるのは現実的に不可能ですし、乳幼児は政治に関する知識や政治的な判断能力がほぼないでしょうから、その投票結果をもって国民の意志とするのはさすがに無理があります。

 

しかし、小学生にもなれば、政治に対して興味を持ち、政治に関する知識を得、政治的な判断能力をある程度持ち合わせる子も出てくるようになるでしょう。中学生、高校生と年齢が上がるにつれてその割合は高まっていくはずです。

しかし、かつての私がそうであったように、政治に高い関心を持つ18歳未満の子たちは、間違いなく少数派です。

そういったことを考えると、「年齢」という枠組みで選挙権の有無を決めてしまうことは、ある意味では致し方ないことではないかと思います。

 

ここで問題になるのは、日本国民は皆18歳になれば、政治に関心を持ち、政治に関する知識を得、選挙制度の仕組みについてある程度理解をし、政治的な判断能力が身につくようになるのか?ということです。

私がある意味恐ろしいと思っているのは、今の日本の選挙制度では、衆議院参議院の違いが分からなくても、日本の総理大臣が誰であるかを知らなくても、どの政党がどのような主張をしているのかを把握していなくても、18歳以上の日本国民であれば全員投票ができてしまうという点です。

 

自動車の運転であればそうはいきません。自動車には免許制度があり、ある程度の運転技術と道路交通法等に関する正しい知識がなければ免許を取得できず、公道での運転が許されないことになっています。

我々教員の仕事も同様です。大学等で所定の単位を取得して、教科の知識や授業の方法、教育心理などを学んだうえで教員免許を取得しなければ、教壇に立つことは許されません。

しかし、選挙権行使には免許制度はありません。

そして、選挙権に免許制度を作るわけにはいきません。仮に「政治に関する知識」や「政治的な判断能力」で選挙権を制限するような制度を作れば、憲法第14条(法の下の平等)、もしくは15条(参政権)違反となるでしょう。

 

選挙権に免許制度がなく、18歳になれば全員が選挙権を得られる世の中で、政治上の「事故」を少しでも防ごうとするならば、

必要なことは、18歳までに日本国民のほぼ全員が受ける学校教育の中で、政治や選挙に関する知識を少しでも与えることです。

小学校、中学校では教科「社会」の中の公民分野、高校では教科「公民」の中の科目「政治・経済」あるいは「現代社会」で、必ず一度は学んでいるはずなのですが、現実にはその内容は定着しておらず、

むしろ若年層の投票率の低下や、政治に対する無関心・無理解が問題になっています。

これは、受験との兼ね合いにより公民科の教育が軽視されていることに原因があると考えています。

 

中学校の社会は、1、2年生で地理・歴史を学び、公民分野の学習は3年になってからが基本です。

多くの学校がその順番で履修するため、3年生になってからようやく学ぶ公民分野を高校入試で出題しづらいのです。

従って、中学生は教科「社会」の中でも地理・歴史分野の学習に偏り、公民は後回しにされて高校に入学しているのではないでしょうか。

また、大学入試においても、私立大文系の入試以外では公民が選択科目として使い勝手が悪く、文理問わず日本史・世界史・地理を選択する生徒が多くなっています。

その結果、地理歴史や他の受験科目に比べ学習の優先順位が下がり、政治に関する知識をあまり得られないまま18歳になってしまっているのではないか、というのが私の推測です。

 

個人的には、大学入試で公民を必須科目にして欲しい、と思いますが…おそらく実現は難しいでしょう。

商業の一教員である私が個人レベルでできることは、特に「ビジネス基礎」「ビジネス経済」「ビジネス経済応用」「経済活動と法」など、公民科と履修内容が重なる科目で、主権者教育の目を持って指導していくことだろうと思います。

一時期、「教科横断的な学習」という言葉を耳にすることが多かったのですが、私は「公民+商業」の組み合わせがそれを一番強力に実践できるのではないかと考えています。

商業の教科指導の中で、公民の学習内容との共通点を見出し、主権者教育に結び付ける。

これを私の中の密かな研究課題にしたいと思います。

実務における仕訳の難しさ

わかちです!

前回の記事からだいぶ更新が止まっていましたが、ある程度仕事の方も落ち着いてきたので更新再開です!

昨日、何人かの方から、「わかち先生のブログ見てるよ!」というお言葉をいただき、非常に嬉しく思っております。励みになりまね。

 

さて、前回の記事では、「元帳」という言葉を切り口に、学習簿記と経理実務の違いについて紹介しましたが、

今回は「仕訳」の違いについて紹介したいと思います。

 

簿記における基本となるのが、仕訳です。

「仕訳を制する者は簿記を制する」、と言う人もいますし、簿記が好きな人のほとんどは、仕訳を考えることが好きな人だと思います。

私も高校生の時に簿記を学び、その魅力に取りつかれた一人ですが、

仕訳の問題は本当に大好きでした。

全商1級レベルの問題であれば、解けない仕訳はない!という感じでした。

 

「仕訳が重要である」ことは、学習簿記でも経理実務でもなんら変わりはありません。

経理」と「(経理以外の一般)事務」の違いは、「仕訳を切るかどうか」(仕訳を切る人=経理、仕訳以外の処理をする人=事務 という考え方)という人もいるくらいです。

学習簿記との違いは、手書きの仕訳帳がパソコン入力の伝票に変わったくらいで、

実務においても仕訳を伝票に入力することが経理業務の基本になります。

 

ただ、実務における仕訳は学習簿記と違い、考えることが多く、非常に難しいです。

下の画像を見てください。これは、前職で使用していた会計ソフトの伝票入力画面です。

https://leyser.jp/wp-content/uploads/2019/07/kaikei_sub_op01_1.png

https://leyser.jp/wp-content/uploads/2019/07/kaikei_sub_op01_1.png

(引用元:https://leyser.jp/kaikei/kaikei-option/

 

入力すべき項目が、「勘定科目」「金額」以外にも、「部門」「消費税」「摘要(最大3つ)」などたくさんあるのが分かると思います。

学習簿記では、「勘定科目」と「金額」さえ決定できれば仕訳が切れていたのに、実務ではそれ以外にもたくさんのことを考える必要があるのです。

 

例えば、前職の実務において、費用の支払いを行ったときには、

「教育研究経費」か、「管理経費」*1か?

消費税のかかる取引か?かかるとすれば何パーセントか?

どの部門が負担すべきものか?

どの予算を使用するべきか?

・摘要*2は前回どのような表現で書いているか?(誤字や表記ゆれ(全角・半角の違いなど)があると後で検索できなくなるため、書き方を統一しなければならない

このようなことをすべて考えたり調べたりして、数多くの項目を決定しないと仕訳が切れないのです。

 

学習簿記をやっていた分、勘定科目の選択や金額のミスはあまりなかったものの、慣れない消費税区分や予算の選択、摘要の書き方などで毎回のように伝票に直しが入っていました。

あれだけ仕訳が好きだった私が、仕訳を切るのが怖くなってしまいました。

 

経理で仕事を始めて数か月たつと、独特な伝票入力にも慣れ、

あまりミスをしなくなりそのスランプから脱出できましたが、

「一つの仕訳を切るだけで、こんなにも労力がかかるのか…検定簿記は良かったなあ😢」と、しみじみ思ったものです。

 

ただ、私がここで言いたいことは、「学習簿記や検定簿記は実務で役に立たないから、やる意味がない」ということではありません。

むしろ、「検定も含めた学習簿記で基本をしっかり固めておくことで、実務との比較を通して自分の中で消化する」ことが必要だと思います。

 

私は経理実務の中で、小切手を振り出したこともなければ、約束手形を裏書譲渡したこともありません。見越し繰り延べの仕訳さえ起こしたことはありません。

では、これらの内容は実務で使わないから、学ぶ必要がないのでしょうか?

 

私は、時代に合わせて内容を精選することは必要だとは思いますが、「簿記における基本的な考え方」についてはたとえ実務で使わなくてもしっかり学ぶ必要があると考えています。

知識や技能としてダイレクトに役に立たなくても、そこで得た概念や感覚は必ず役に立つからです。

「陶冶」や「転移」が期待できると言ったほうが良いでしょうか。

そこに学習簿記の意義があると思いますし、ひいては商業教育の意義もそこにあると考えています。

 

このテーマについてはまた後日、「『実務に即して教える』の罠」というタイトルで詳細な記事を書きたいと思っています。

 

*1:学校法人会計では、教育や研究のための費用である「教育研究経費」、略して(教) と、経営などの管理のための経費である「管理経費」、略して(管) とを区別する必要がありました。校舎現場で購入した文房具代と、経理部で購入した文房具代別の勘定科目で扱わなければならないのです!

*2:仕訳帳における「小書き」のようなもの。支払先や取引の内容を簡単に書く

「元帳」といえば何のこと?

わかちです!

以前の記事に引き続き、学習簿記と経理実務との違いについて紹介していきます!

 

さて、高校商業科で学ぶ簿記では、手書きで「仕訳帳」という帳簿に仕訳をし、その後「総勘定元帳」という帳簿に転記をすると学びます。

しかし、当然ながらこのように記帳をしている企業は今ではほとんどありません。

多くの企業では、会計ソフト内の伝票に仕訳を入力することで、仕訳帳の代わりとしています。

総勘定元帳への転記も自動でしてくれますし、試算表などもすぐに出してくれるので非常に便利です。

 

ところで、学習簿記では「元帳」といえば決まって「総勘定元帳」のこと*1ですが、実務では他にも「元帳」が存在するのを知っていますか?

私の勤めていた経理で使用していた会計ソフトでは、「総勘定元帳」の他にも「支払元帳」「検索元帳」が存在していました。

 

会計ソフトでは、取引を検索するための検索機能がついています。

この機能を使って、過去に入力した伝票を呼び出し、どのような仕訳が行われていたかを確認するのです。

その際、

「勘定科目」と「日付」の組み合わせから検索する機能や検索結果のことを「総勘定元帳」

「支払先」などから検索する機能や検索結果のことを「支払元帳」

「摘要」*2などから検索する機能や検索結果のことを「検索元帳」と呼んでいました。

 

「元帳」という言葉が、帳簿そのものを指す以外にも、検索機能のことを指していること、

そして、総勘定元帳以外にも「元帳」と呼ぶべき帳簿があることに驚いた記憶があります。

 

入職した当初、「この請求書に記載されている内容から、元帳で伝票を検索してね」と上司に言われた際、

「元帳=総勘定元帳だから、そこから探せばいいんだな!」と思って検索したものの、全く見つからず

上司から、「検索元帳使ったほうが早いよ」と言われたのを思い出します…。

総勘定元帳で取引を検索するためには、検索するためのキーである勘定科目が正しいことが大前提なので、誤った勘定科目で検索してもヒットしないのです。

同様に、支払先が登録していない業者であれば支払元帳は使えませんし、摘要に誤字や表記ゆれがあれば検索元帳で検索してもヒットしません

経理実務では、学習簿記で考える必要のなかった「どの元帳を使ってどの情報で検索すれば効率がいいか?」ということを常に考えながら業務を行う必要がありました。

 

余談になりますが、検索できる切り口が多いということは、それだけ伝票に入力している情報が多いということです。

学習簿記では、仕訳をするのに必要な情報は「勘定科目」と「金額」だけですが、経理実務では、一つの仕訳を切るためにそれ以外にも様々な情報が必要になります。

学習簿記に慣れていた私はこれに大変苦労しました…。

経理実務での仕訳の難しさについて、詳しくはまた次回以降の記事で取り上げることにします! お楽しみに!

 

*1:名前に「元帳」とつく帳簿として、他にも「売掛金元帳」や「買掛金元帳」なども学びますが、商業科の学習簿記ではこれらの補助簿を単に「元帳」と呼ぶことはしていません。

*2:仕訳帳における「小書き」にあたるもので、取引内容をなどを簡潔に入力します

企業と学校の「職階」に関して思うこと

わかちです!

以前の記事で、学校と一般企業の違いの一例として、職階・組織の序列について紹介しました。

学校に比べて一般企業では、職階が細分化されています。

復習のため、もう一度前回書いた、前職での職階一覧表を載せておきます。

 

理事長

理事・評議員

---------↑経営者↑----------

部長

部長代理

次長

課長

課長代理

課長補佐

---------↑役職者↑----------

主任

一般職員・契約職員・嘱託職員

 

一方、学校現場では、職階が「校長」「教頭」「教諭」「講師(実習助手含む)」くらいしかありません。

どちらが良いかはそれぞれ一長一短なので判断は難しいですが、両方経験したわかちが「ここがヘンだよ!」と思った例を紹介したいと思います。

 

(1)13人しかいない経理経理課だけで課長が5人??

私は学生時代、「部長」「課長」などの肩書を、

「該当の組織におけるトップ」を表すものだと思っていたんですね。

なので、総務・人事・経理などの各課には課長は1人しかいないものだと思っていました。

ところが、私が新卒で入職した法人では、「部長」「課長」などの肩書は職階であり、あくまで職員のランクを表すものでした。

ですから、経理課課長」は、「経理課に唯一存在するトップ」という意味ではなく、「経理課に在籍している「課長」ランクの職員」という意味だったんですね。

ということは、相撲における番付の「大関」みたいなもので、理論上、経理課に課長は複数人いてもいいわけです。

実際に、私が入職した時、経理課には課長が2人いました。

 

…と、それだけなら「まあそんなもんでしょ」で終わる話ですが、問題はここからです。

当時の経理課には、課長の下に「課長代理」が1人、「課長補佐」が2人いました。

さて、一般企業では、「部長」のことを呼ぶときに、当然、「○○部長!」と呼ぶのはご存知かと思いますが、「部長代理」を呼ぶときに、「××部長代理!」と呼ぶことはあまりなく、「××部長!」と呼ぶ慣習があります。

「課長代理」や「課長補佐」も同様で、「○○課長代理!」「○○課長補佐!」と呼んでも間違いではないのですが、慣習的に「○○課長!」と呼ぶこともありました。

経理課には「(本物の)課長」が2人、「課長代理」が1人、「課長補佐」が2人いたので、「課長」 と呼ぶべき上司がなんと5人もいたのです。

経理課は当時13人しかいなかったので、そのうち5人が「課長」と呼ばれていたのは、はじめは少し違和感でした。

(それもすぐ慣れましたけどね…)

 

(2)役職を調べないと電話がかけられない?

(1)でも書いた通り、一般企業では上司のことを「名字+職階名」で呼ぶことが多いです。

「○○部長!」「○○課長!」といった感じですね。

気の知れた間柄であれば、役職についている人も「○○さん」と呼んでもいいと思いますが、私のような(当時)新入職員がそれをすると、失礼に当たります。

経理課の中であれば限られた人数なので、上司の職階を把握するのは特に問題ないのですが、現場にいる人や他部署の職員はすべて職階を覚えるわけにもいきません。

役職名を間違えるのも失礼なので、現場や他部署の職員に電話をかける時には、いちいちその人の職階を調べてから電話をかけていました。(うっかり最近昇進した!って人もいますしね…)たまに一覧表で役職が見つからなくて、電話をかけることをためらったことが何度もあります。なんという無駄な時間でしょう😢

 

一方で、教員の世界は、相手が教務主任であっても、進路指導主事であっても、「○○先生」と呼べば問題ないので、非常に効率的(?)だと思います。

役職名をつけて呼ぶのはあまりにも生産性がない、というので、呼び方をすべて「○○さん」に統一した、という企業もあるみたいですね。 

 

(3)飲み会の費用、校長と講師で同じ金額の負担?

忘年会や新年会、歓送迎会など、社会人になるとなにかと飲み会をする機会がありますが、飲み会にかかった費用負担はどのように配分していますか?

前職では、職階に応じて費用負担割合を変えていました。

当然、上の職階の人のほうが給与が高いので、支払い能力に応じて負担しましょう、という考え方だったんですね。

なので、例えば、部長級は7,000円、課長級は5,000円、若手は3,000円、みたいな形で支払ってもらっていました。

ところが、学校現場に来ると、職階に応じて飲み会の負担金額を変える、という感覚がなくて驚きました。

校長も教頭も、教諭も講師も一律5,000円、といった感じがほとんどです。

でも、考えてみればそうですよね。教員の中では「教諭」の占める割合がほとんどである「なべぶた型組織」では、あまり金額を変えることに意味はありませんから。

とはいえ正直、心の中では「校長と講師じゃ給料全然違うのに、負担金額同じかよ~」と思うこともありますが…😢

 

いかがだったでしょうか?

職階が細分化されている組織と、学校のように職階が細分化されていない組織、

それぞれについて思ったことを紹介してみました。

学校の方も中間管理職を設けようという動きもありますが、東京都などで導入されている主幹教諭制度などは、果たして学校をいい方向に導くことになるんでしょうか…?

今後の動きを見守るしかなさそうです。

 

また次回以降も、学校と企業の違いについていろいろと書いていこうと思います!

学校法人会計に「保守主義の原則」はない

わかちです!

学校法人と企業会計では、様々な相違点があります。

今回のテーマは、「保守主義の原則」についてです。

 

さて、保守主義の原則」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?

 

私は今、商業科の教員をしていますが、実は、大学生の頃の教育実習は「公民」で実施しました。

会計や経済のことが好きになったのは高校生になってからで、もともとは政治や社会のことが好きだったりします。今でも一番好きな国内のイベントは解散総選挙です。

そのため、高校生の時の会計の授業で「保守主義」という言葉を聞いた時には、「自民党かな?」なんて思ったものです。笑

日本の政治でなにが面白いって、改憲派=保守、護憲派=革新なんですよね。「変えたい」のに「守りたい」。「守りたい」のに「変えたい」と本当にややこしい。

そういえば、「仕訳=しわけ」という単語も、はじめに聞いた時には、「事業仕分け」を連想したのを覚えています。民主党かな?笑

日本の政治についても語りたいことは山ほどあるのでまた後日書くことにします。

 

いろいろと話がそれてしまいましたが、結局何が言いたいかというと…

一般的に「保守」という言葉を使うときって、「革新」の対義語として、大概は政治に関係する場面で使いますよね。

でも、会計の世界における「保守主義」はちょっと違う意味合いで使います。

 

会計上の保守主義の原則」というのは、企業会計原則の中の「一般原則」に書かれている7つの原則*1のうちの一つです。

条文は以下の通りです。

企業の財政に不利な影響を及ぼす可能性がある場合には、これに備えて適当に健全な会計処理をしなければならない。

これは分かりやすくいってしまうと、

収益は遅めに少なめに

費用は早めに多めに

計上しましょう、ということですね。そうすることによって、利益の過大計上を防ぎ、資金の社外流出を防ぐという狙いがあります。

 

株式会社が利益を計上すると、その中から株主への配当金を出します。

利益をたくさん計上すると、その分多くの配当金を出すことになり、資金が社外に流出することになってしまいます。

また、同じく、会社が納める法人税などの税金も、計上した利益(正確に言えば税法上の所得ですが)の金額を基準にして計算します。

利益が多いと払う税金も多くなるので、結果的に社外に資金が流出することになるのです。

そのため、過大な利益を計上して、必要以上に資金が社外に流出しないよう、クギを刺しているのがこの「保守主義の原則」なんですね。

 

ところが、学校法人会計にはこの「保守主義の原則」という考え方は存在しません。

(学校法人会計基準にも一般原則はありますが、「真実性の原則」「複式簿記の原則」「明瞭性の原則」「継続性の原則」の4つだけで、「保守主義の原則」はありません。)

なぜだか考えたことはありますか?

 

それは、学校法人は一般の株式会社ほど、利益の過大計上による資金流出の危険性が高くないためです。

学校法人には「株主」は存在しません。株主が存在しないということは、配当を出す必要もありません。

加えて、学校法人は、「本業(授業料収入など)」で得た「利益(収支差額と言ったりします)」は、法人税の納付が免除されているのです。すなわち、利益がたくさん出ても、それにかかる税金はほとんどないのです。

(実際には、「本業」以外の儲けも結構あったりするので、法人税を全く納付しない学校法人はほとんどありませんが)

以上の理由から、学校法人には「保守主義の原則」という考え方は必要にならないのです。

 

応用編として、さらに踏み込んだ話をします。

学校法人には保守主義の原則はありませんから、それに則った会計処理も認められていません。

一番わかりやすい例は、減価償却費の計算方法です。

保守主義の原則の趣旨に照らせば、費用を毎期一定で計上する定額法よりも、「早めに多めに」計上できる定率法が好まれるはずです。

簿記の検定試験でも、備品系は減価償却費を定率法で計算させる問題が多いと思います(実際の企業ではどうなんでしょうか?定率法と定額法の採用率を調べてみると面白いかもしれません)。

しかし、学校法人会計では保守主義の原則がないため、有形固定資産はすべて定額法で減価償却をします。

定率法を実務で適用しようとしたら鬼のように煩雑ですしね。

前職では決算期に減価償却の担当をやっていました*2が、あの大量の固定資産の減価償却を定率法でやれと言われても、絶対にやりたくありません。笑

 

いかがだったでしょうか?

保守主義の原則を切り口として、株式会社(企業会計)と学校法人(会計)の違いを見ていきました。なかなかおもしろいですよね?

一般原則の中でも生徒にとってはややとっつきにくいのが保守主義の原則ですが、興味関心をひけるように、工夫を凝らして生徒に伝えていきたいですね。

次回以降でもまた、企業と学校法人の違い、学習簿記と経理実務の違いについて書いていこうと思います!

 

*1:保守主義の原則のほかに、「真実性の原則」「正規の簿記の原則」「資本取引・損益取引区分の原則 」「明瞭性の原則」「継続性の原則」「単一性の原則」がある

*2:決算日は3月31日ですが、実際の決算の処理は翌年度の4~5月におこなっていました。決算期は毎日のように10時頃まで残業です。心理的なプレッシャーを経理部全員が抱えながらの処理でした…

部長の次に偉い人は?

わかちです!

私は大学卒業後2年間、学校法人の経理部職員として働き、その後転職して高校商業科の教員をしています。

「学校の常識は世間の非常識」という言葉もありますが、実際に一般的な組織(法人)と学校現場との間にはどのような違いがあるのでしょうか?

ここでは、私の経験をもとに、その違いについて例を挙げて紹介していきたいと思います。

 

さて、いきなりですが問題です。

一般的な企業において、部長の次に偉い職階はなんでしょう?

 

答えは、「会社によって違う」です。

当たり前の話ではありますが、会社によって用意されている職階は違います。

 

…と書くと、「えぇーそれは答えになってないよー」と言われてしまうので、一例として、前職での職階がどうなっていたか紹介したいと思います。

 

私が勤めていたのは学校法人ですが、いわゆる「一条校*1」を運営する法人ではなかったため、一般企業的な感覚も持ち合わせていた組織でした。

さて、多くの学校法人において、一番偉い人の職階名は「理事長」です。一般企業では「代表取締役(社長)」に相当します。

私が勤めていた法人でも例に漏れず、トップの職階名は「理事長」でした。

理事長の次は「理事」や「評議員がきます。一般企業では「取締役」や「執行役員」に近いでしょうか。

そして、実務レベルで一番上の職階は「部長」です。

では、今回のテーマにもなっている、部長の次に偉い職階は何と呼ばれていたのでしょう?

 

 

私の勤めていた法人では、部長の次は「部長代理」という職階名でした。

入職前の私は、「部長の次は課長なのかな?」と思っていたのですが、それは「島耕作」の影響があるからでしょうか?(読んだことはないですけど)

 

そして、「部長代理」の次は「次長」です。

「次長」の次にようやく「課長」がきます。

以下、「課長代理」「課長補佐」「主任」と続きます。

 

分かりにくかったかもしれないので、もう一度分かりやすく整理すると、

 

理事長

理事・評議員

---------↑経営者↑----------

部長

部長代理

次長

課長

課長代理

課長補佐

---------↑役職者↑----------

主任

一般職員・契約職員・嘱託職員

 

という序列の組織でした。

これ、結構細かく分かれていると感じませんか?

私の推測ですが、おそらく、職階を細分化することによって、定期的(前職だと4~5年に1度)に昇進をさせて、職員のモチベーションの向上を図っていたのだと思います。

 

ところが、学校現場はこれとは全く違く異なる序列の組織でした。

教員の職階は、大きく分けると、「校長」「教頭」「教諭」「講師(実習助手含む)」しかありません。(2020年現在、愛媛県の高等学校では、「副校長」「主幹教諭」が配置されてないので省略)

 

念のため、先ほど度同じように縦に並べてみると、

 

校長

教頭

---------↑管理職↑----------

教諭

講師

 

となります。

先ほどと比べると良くも悪くも、非常にシンプルな設計です。

 

私は学校現場に入って、前職との違いに驚くことはたくさんありましたが、

意外にこの職階・組織の序列の違いにも大きな衝撃を受けました。

何をもって「上司」とするかは難しい(主任・主事などが業務における事実上の「上司」にあたるという考え方もあるため)ところですが、私よりも30歳以上も年上の先生(教諭)も、職階上は「上司」ではないのです。悪い意味ではないですが、違和感を覚えた記憶があります。(大学卒業後すぐに教員になった先生方はそれが当たり前だと感じるかもしれませんが…)

 

一般企業は、「ピラミッド型組織」と呼ばれることがあります。

職階が細分化され、上に行くほど人数が少なくなっていく仕組みです。

特に、数十年以上続いている伝統のある企業や、大企業ほどこの傾向が強くなると思います。

 

一方、学校現場は、「なべぶた型組織」と呼ばれています。

数人の管理職(校長・教頭)の下に、大勢の教諭がいる、という体制です。

このような形の組織は、一般企業にはあまり見られない特徴だと思います。

 

一般企業的なピラミッド組織がいいのか、それとも、学校的ななべぶた型組織が良いのか。

教員経験を含め、社会人経験の浅い現時点での私では、どちらが良いのかの優劣をつけることはできません。これから教員生活を積み重ねると、「今のほうが良いな」とか、「前職のほうがやりやすかったな」という判断ができるようになるでしょうか。

ただ、細かく序列が分かれた組織では、「指示を出した人・意見を言った人が一つでも上の職階であれば、従わなくてはならない」といった雰囲気がありました。10歳以上年上の先輩はほぼ全員上司にあたるので、実質、「先輩の言うことは絶対」状態です。

そういった意味では、先輩・後輩はあるものの、明確に職階の差をつけない教員組織のほうが、(相対的な)若手が意見を言いやすいというのはあるかもしれません(その学校の雰囲気にもよるでしょうが)。

 

一方で、東京都などでは、主幹教諭を配置したり、副校長制度を設けたり、「管理職候補者」を募って研修を行ったりしているとのことなので、学校現場にも一般企業的な、中間管理職を設けて上と下の情報の伝達をスムーズに行うという視点も求められているのかな、という気はします。(というより、今は主幹教諭等を配置している都道府県・学校のほうが多数派なんでしょうかね?そのほうがやはり学校運営上好都合なんでしょうか…。)

 

どちらにせよ、「ピラミッド型組織」も「なべぶた型組織」も一長一短だと思いますので、今後教員生活を積んで、両方の良いところを活かせる組織の形を模索していきたいと考えています。

 

学校と一般企業の違いについて、また次回以降の記事でも別の例を用いて紹介していきます!

*1:学校教育法第1条に規定されている学校。幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学(短期大学および大学院を含む)および高等専門学校が該当します。