わかち先生の 行こうぜ!商業

高校商業教員のわかちが、教育観などを徒然なるままに書いていきます。

わかちの生い立ち(2)

わかちです!

前回は、主に私の小学生ごろまでの話を書きましたので、その続きを。

 

さて、小学校4年生から続けた野球も6年生の最後の大会が終わって卒業し、中学校に進学するまであと半年となったころです。

都市部の小学生は、いわゆる「中学受験」をして私立中高一貫校に入るパターンもメジャーですが、

超絶田舎町で育った私はそんなことも知らず、普通に公立の中学校に進学するんだろうな、と思っていました。

 

ところが、汽車(電車じゃないんです。ディーゼルエンジンで動くんですよ)で乗っていける範囲のところに、県立の中高一貫校が設立されているという話を耳にしました。

小学校教員をしている母親は、その中高一貫校を受けてみないか?と私に勧めました

私は、「受験するつもりはない」と母に言いました。授業の進度も大学受験に備えて早いスピードで進むという話も聞いていましたし、小学校の友人たちと離れて学校生活を送るのも不安がありました。

しかし、母親は受験したほうが良いと強く勧めました。

結局、小学校で一番仲の良かった友人もその一貫校を受験するということが決め手になり、特に将来的なビジョンもないまま何となく受験し、その学校に入学することになりました。

 

しかし、この中学入学後に大きな問題が発生します。

小学校まではあまり苦労することのなかった勉強が、だんだんとついていけなくなってきたのです。

最初に躓いたのは英語。1年生1学期の中間考査で平均点を下回って以降、中学校3年間の定期考査で1度も平均点を上回ることがなかったと記憶しています。

小学校の時はテストのための勉強をしたことがありません。塾にも通っていませんでした。それでも、当時かなりの読書量を誇っていたため、国語・社会・理科などはほとんど学校の授業を受ける前に、何らかの本で読んでいたため理解できたのです。

ところが、中学校に入って初めて習う英語ではそうはいきませんでした。いくら読書をしても、英語の成績を上げることには関係がありません。だって、普段読む本はすべて日本語で書かれているのですから。

加えて、一貫校に通うクラスメイト達は、いわゆる「ええとこ」の家庭出身の子も多く、塾や英会話教室に小学生の時から通っていました。彼らにとって学校の授業は事前に勉強している内容だったのです。

努力不足の私と、成績面で差がつくのも当然でした。

こうして、学習面での挫折を味わった私は、「小さいころから塾や英会話教室に通っている子たちに勝てるはずがない」と、無力感を味わうようになりました。

特に、最近の中学英語は会話やコミュニケーション重視で、文法や構文をしっかりと説明しないことも多いため、「何が分かっていないのか分からない」状態になり、さらにやる気がそがれていきました。

(私がいわゆる「アクティブ・ラーニング」的な授業に懐疑的・慎重なのはこの時の経験も一因となっています。このテーマについては後日また詳しく書きます)

 

中学校2年生ごろからは、数学についてもだんだんと成績が下がるようになってきました。

数学も英語同様に、読書量や(日本語での)語彙・知識量があまり成績とリンクしないためです。机の上でしっかりと勉強する必要があったのです。

 

さらに中学校3年生になると、定期考査で苦手な数学・英語が2科目になるなど、当時の私にとって「不利」な傾斜配点を課されているようになりました。

通っている学校に対する不信感のようなものがだんだんと溜まっていくようになりました。

(もちろん、当時の学校・先生方に責任はありません。当時の学校のシステムが私にとって相性が悪かっただけの話です。)

もはや、英語や数学を中心とする学校の勉強は面白くないものに変わっていました

 

そんな中でも楽しかったのは体育や技術・家庭科などのいわゆる「実技教科」でした。

英語や数学と違い、実技教科は塾に通って学ぶ子もほとんどいないため、私にとっては同じ土俵で戦える、公平な教科だったのです。

加えて、技術・家庭科などは受験のための英語や数学に比べてより実践的で、生活を営む上で非常に役に立つ教科だと感じていました。

 

中学校3年生の2学期ごろ、学校から「このまま同じ学校の後期課程(高校)」に進むかどうかの進路希望調査の紙が配られました。

私はその時、非常に迷いましたが、「後期課程への進級を希望しない」に〇をつけ、提出をしました

別の高校を受験し、普通教科中心のつまらない勉強ではなく、もっと実践的で役に立つ勉強がしたい、と考えたのです。

担任の先生は驚いてましたが、家族会議・担任面談・学年主任面談・教頭面談などを経て、結局、高校受験をすることに決定しました。

 

さて、この「中高一貫校から高校受験をする」という経験が、また私の人生を大きく変える分岐点となります。

この後の高校編以降についてはまた次回書くことにします。